宮本百合子

 わたしたちが文学を愛するこころもちの最も純粋な情熱は、いつも、その作品をよみ、それを書いた作家に心をひかれる人々自身の、いかに生きるか、の課題に関連している。過去の文学作品、また今日かかれている作品をよみ、作家について研究するとき、私たちは決してそれをただ昔のものとし、ただ今日偶然あるものとして見るのではない。きょうに生きている自分たちは、どのような人間社会の歴史の到達点にたって、更にそれぞれの可能を将来に実現してゆこうとしているのか、よりよい明日はそのうしろにどんな今日をもちきのうをもっているか。それを生きる現実の姿で味い、学ぶところにこそ文学のつきない面白さ、厳粛さがある。

「伸子」は一九二四年から一九二六年の間に書かれた。そのころの日本にはもう初期の無産階級運動がおこっていたし、無産階級文学の運動もおこっていた。けれども作者は直接そういう波にふれる機会のない生活環境にあった。「伸子」には、日本のそういう中流的環境にある一人の若い女性が、女として人間として成長してゆきたいはげしい欲求をもって結婚し、やがて結婚と家庭生活の安定について常識とされている生活態度にうちかちがたい疑いと苦しみを抱くようになって結婚に破れゆく過程が描かれている。結婚、家庭生活について日本の社会通念が枠づけている息ぐるしい家族制度のしがらみ、娘・妻としての女が、人間らしいひろやかさと発展をもって生きたい女性にとって、どんなに窒息的なものであるかを、夫婦の性格的な相剋の姿とともに描き出そうとしている。作者はおぼろげながらこれらの葛藤が社会的な本質をもっている問題であることを感じながら書いている。今から二十四年前この作品がかかれたとき、作者も読者も、「伸子」のあらゆるもがきが、日本の近代社会の隅々までをみたしている根づよい古さと中途半端な新しさとの矛盾から生れていることを、こんにちの作者と読者とが理解するようには理解していなかった。「伸子」の続篇は、波瀾の多い四分の一世紀をへて、今「二つの庭」「道標」、なおそのあとにつく作品として執筆されつつある。

「二つの庭」で伸子は二十七歳になっている。伸子は、社会認識の黎明にたっている。その客観のうすら明りのなかに、何とたくさんの激情の浪費が彼女の周囲に渦巻き、矛盾や独断がてんでんばらばらにそれみずからを主張しながら、伸子の生活にぶつかり、またそのなかから湧きだして来ていることだろう。
「伸子」で終った一巡の季節は、「二つの庭」で新しくめぐり来た一つの季節としての情景を展開している。そこには、いく種類かの愛と憎しみと混乱、哀愁と憐憫がある。そのどれもは、伸子の存在にかかわらず、それとしての必然に立って発生し、葛藤し、社会そのものの状態として伸子にかかわって来ている。伸子は伸子なりに渦巻くそれらの現実に対し、あながち一身の好悪や利に立っていうのではない批判をもちはじめている。日本の社会が、あらゆる階層を通じてとくに婦人に重く苦しい現実を強いていることは、人生を愛す気質をもって生れている伸子を一九二七年の空気のなかで、社会主義へ近づけずにいなかった。「二つの庭」で、伸子は、これまで人として女として自然発生にあった善意と理性が、人間行動にうつされた場合の形として、社会主義を見出している。しかし、「二つの庭」で、伸子は、まだそのような個人的善意の社会的行動に自分をゆだねてはいないのである。伸子は組織について無知であり、社会主義的な集団にも属していない。