宮本百合子の作品

 集団農場には托児所、共同食堂、クラブなどはつきものとなっている。
 私は、来ていた人に、自分がソヴェト同盟の南の地方を見学旅行したとき或る国営農場で見たいろいろのことを話した。大きいクラブがあって夜そこで農場員と一緒に無料映画を見物した思い出は忘られぬ。農場の広っぱに国立出版所の赤い星で飾った売店があって、本や雑誌をうっている。
 働くばかりではない。文化も高まって来るのがソヴェト同盟の農民の生活である。私は、クリミヤ地方を旅行した時見た農民のための療養院の話もした。海に、面して眺望絶佳なところに床まで大理石ばりの壮大な離宮がある。それが今は農民のための療養所で、集団農場から休養にやって来ている連中が、楽しそうに芝生の上にころがって海の風に当っていた。
 農村のために映画館を二万五千にふやしラジオは十倍にひろげられた。農村の学校、診療所、産院等五ヵ年計画では大した予算で増設されている。
 一度あの様子が見せたい、と私はその人に心から云った。そうすれば、いろんなデマはうそで農民の幸福というものはどんなものであるか分るし、そのために闘い、プロレタリアと共に勝利するだけがその幸福をわがものとする道だということがわかる。
 農村、工場の真に闘っている人の中からソヴェト見学団の送られる価うちはここにある。ソヴェトの友の会では、去年の十月、革命記念祭に向って見学団派遣を計画し、農民代表として石川県の農民の山野芳松という小父さんが決定されるまでに運んだ。政府は、旅券をよこさなかった。農民にソヴェト同盟の真の姿を見せまいとするのである。
 現に中国のソヴェト区域の農民はもう集団農場の方法で耕作し、収穫も高めはじめている。

 ついこの間までラジオは、やさしい抑揚をつけてそう語った。被原爆地に、眼病のなかでも不治とされる「そこひ」が発生していると報ぜられている。
 日本の一部の人々は、あんまり度々いや応なしに戦争にかりたてられてきたために、神経衰弱のようになっていて、しんから戦争をさけたいと思っているときでも、ちょっとした挑発や暗示にまけやすくなっている。
 わたしたちは平和を求め、そのために努力している世界の意志、自分の意志に、もっともっと明確な信頼を示すべきである。あらゆる国の人民にとって「平和」はジェスチュアではない。生きることそのことである。原爆を第一に経験した日本の住民が、世界の平和投票に率先しないなら、それは、われわれが生きる権利をすててしまっているも同然である。
 原爆使用は禁止されなければならない。このことを世界の正義と良心に向って、しんから叫ぶことのできるのは、そのために肉親を犠牲にした日本の全人民である。平和は戦争に反対することによってのみたたかいとられる。

 明治、大正年代にも、日本の文学は様々な意味で複雑、多岐な発展をとげて来たのであるが、この三四年間における日本文学が物語る歴史性、社会性の錯綜の姿は、或る意味で実に日本文学未曾有の有様ではないかと思われる。
 明治、大正と徐々に成熟して来た日本の文学的諸要素が、世相の急激な推移につれて振盪され、矛盾を露出し、その間おのずから新たな文芸思潮の摸索もあって、今日はまことに劇しい時代である。日本に於てはロマンチシズムが今日どういう役割を果しているか、ということにさえ独特な相貌が現れているのである。
 私の任務は、この興味ふかく又重大な今日の文学を語ることである。五十枚ほどの枚数の中に、果してよく描きつくせるであろうか。私の文学的教養と力量とが、この紛糾と錯綜を、明確に洞察し、整理し得るであろうか。少なからぬ困難が予想されるが、私は読者の忍耐と誠意と自身の熱意とに信頼して、この仕事をやって見る。この人生に明らかな知性と豊かで健全な人間的情熱の発動を熱望する一人の作家が、今日の現実を見る勉強としてやって見るつもりである。日本文学史全巻を担当される近藤忠義が、篤学、正確な視点をもたれる学者であることは、読者にとっての幸運であるし、同時に今日の文学の諸相のみを扱う私にとって一つの幸な安心である。